とおりゃんせの本当の意味
ある日、当店は果物を頂いたので、いつものようにお供えをしました。
「どうぞ。召し上がってください」
『この山葡萄はいとあもうござりまする』
※このぶどうはとても甘いですね
「ブルーベリーです」
『山葡萄は今まで食べたことは無かったですが、このように甘いのですな』
「ブルーベリーです」
それからまたある日、当店はマンゴーをお供えしました。
『この、ご禁制の水ぐぁしは、ほんに美味しゅうございます』原文ママ
※法令で禁止されている水菓子=果物はとても美味しいです
「マンゴーです」
『拙僧はあけび、柿と、美濃の国からのくだりものの、マクワウリしか食したことがありません。
時々、ご献上ウリも頂戴しましたが、柿は干したものだけでした』
※毎年時期になると国の人がマクワウリを将軍家に献上したそうで
そのウリが時々、寺などに配られたと言っておられました。
「ええ」
「とおりゃんせ~♪とおりゃんせ~~」
ある日当店は歌を歌いながら、掃除をしておりました。
『ほう…』
「良い歌ですよね。この曲の由来は何でしょうね」
『はっきりしたことは分かりませんが
師である忠運上人様から聞いた話でよろしければお話いたします』
「ええ」
『拙僧が十と九歳の時に教わり申した』
「はい」
『このうたには、もともとふし(音)はなかったと思います。
お師匠様に聞いた話では川越の三芳野神社で、その国の人達が
いつからか言うようになったものということでした。
昔は三芳野神社は川越の人たちの神社として
庶民がお参りに行っていたのですが
川越のお殿様の城を広くするということで
三芳野神社が城の敷地内に入ってしまったのです。
それで、庶民はその神社に行けなくなってしまいました。
普段は城の侍しか入れなくなってしまったのです。
しかし、殿様のご配慮で特別なおまつりの日と
七五三のお祝いの日だけは庶民が入れることになったのです。
しかしそこは城ですから、他国の間者(かんじゃ=スパイ)を通すことはできません。
天神様までの道を細く迷路のように通してゆくことになったのです。
同時に、天神様に行くには、いちいちお伺いをたてなければならなくなりました。
「何の用で行くのか?」と一人ずつ聞いてから通したのです。
天神さまに向かう時は、見た目で間者かどうか、他国の隠密かどうかを判断していたのですが
お参りの帰りになると、秘密の書物などを持ち出していないかということで
一層、厳しい取り調べが行われました。
それが、そういった言葉遊びになって
はじめは子供たちがいうようになったのです』
「そうでしたか。
ありがとうございます」
そしてまたある日、当店は去年に引き続き、膝を痛めてしまいました。
「いたた…」
痛みに耐えながら眠りましたところ
朝方になって足に小さな男の方がおられました。
「わっ」
『筋がちごうとる』
「え?」
『神に頼まれたので来た』
「あ…、ありがとうございます。
でもあなたはなんというか、現代的ですね」
その方は着物ではなくスーツをお召しになられていました。
「お名前は?」
『わしはスドウケンゾウ。医者である』
「ああ、ありがとうございます」
『薬を塗っておいた』
「はい。すみません…」
こうして二日後、痛みはすっかりなくなっていました。
ここには私達の日常があります。
何を平凡とし、何を非凡とするのかは人それぞれですが
肉体を持たないタイムトラベラーに
当時の様子を聞くことだけが小さな楽しみの1つになっています。
『ゆづけを所望したいのじゃが』
「はいはい」