光る天珠入荷しました♪
こんにちは☆
今日は光る石と浄化について
少しお話をしてみたいと思います。
石にはごく稀に光って見えるものがあります。
それは現実に光っているわけではなく
そして、どんな人にも見えるというものでもありませんが
しかし確かに光り輝いて見えます。
そういった石を持つと、時に凍えるほど冷たく、また持てないほどに熱かったり
または持っていると心になんらかの影響を与えてくれます。
随分前に「どうして光る石があるのか」を尋ねたことがありました。
「どうして光っている石と光っていない石があるのでしょう」
『石に限らずいかなる物体にも
人、木、花などにも光るものは存在する。
全てのものには霊気が宿っている。
光は、すなわち霊力―。
その霊力を可視化して見ることができる人間が時々いる』
「石はどういう訳でしょうか」
『石の場合、その土地の霊力を宿していて
図柄が描かれている物は力が増幅されることがある。
しかし、その石の霊力と図柄があっていなければ
力は引き出されない』
つまりそれが天珠にあたります。
不思議なことに、天珠は同じ模様と産地であるにも関わらず
なぜか光っていないものが圧倒的に多く、光るものはごくごく稀です。
これは図柄とその石の持つ霊力がマッチしていないからで
同じ産地でも場所によって強い霊力が宿る石と宿れない石があります。
だから、霊石というのだと、この時はじめて知ったのでした。
神社で祀られる霊石は霊力が強い石で、
かつて同じように可視化して見ることができた人間が
霊石を末永く祀り、見守るために社を建てたのだと思います。
そして人が拝んだりすることで
その石はより霊力を増し、強い守り神になるのでした。
この時当店はもう1つ聞いていたことがあります。
それは石の力の寿命についてでした。
天珠に限らず全ての石はそのままにしておくと
次第に光が薄くなってきてしまいます。
それで、どうして水で洗うとその力がもとに戻るのかが不思議でした。
「どうして石は浄化すると力が蘇るのでしょうか」
『石は次第に力が失われるが
清めることで無に戻すことができる。
それは、水で清めたり、森に行っても良いし、水晶に置いても良い。
自然の力を取り込むことで石の力を無に戻せる』
「では、使用した水晶の力を吸い取ってしまうのでしょうか。
それではその水晶も力を戻さねばなりませんか」
『水晶というのは何千年も昔からある。
その間につちかった蓄えがある故、問題はない。
清めるには金剛石(ダイヤモンド)でも構わない』
そう教えられたのでした。
でもできれば、木の力をもらう時には
昼間がおすすめです。
なぜなら、それは木に話を聞いたことがあるからです。
紛れもなく聞いたことがあるからなのです。
木の糧は様々です
昼間、木々は光合成をして、そのエネルギーを周りに発散しています。
それで古い時代の人々は緑を大切にしていました。
「長い間、ここに居るんですね」
『言葉がわかるのかね』
「ええ」
『人間にとっては長いかもしれない。
けれど、実際には長くない。
お前が死んで、また生まれ変わる時までここにおるよ』
しかし夜になると木の様子は変わります
昼間、光合成をした時に動物たちに与えていた
エネルギーを今度は木が吸収するのです。
昼は太陽の光を、そして夜は動物たちからエネルギーを吸い取っています。
そうでなければ、あそこまで大きくなることはできないのでした。
夜になるとこんな声が聞こえてきます。
『離れなさい』
「どうして?」
『わずかなりともお前の命を吸わねばならん。
離れなさい』
だから、石に力を与えるなら
木々がエネルギーを放出している昼間が良いのでした。
とにかくこの世界は不思議で満ちていて、
どんな法則にも当てはまらないことが多々あるのですが
人はあまりに人間社会の中だけの尺度でものを考えすぎてしまって
何かがおかしくなってゆくのだと思います。
体は地球のものであるのに、心がその小さな枠の中で生きるなど
こんなに難しいことはありません。
いつからか矛盾がいろいろな支障をきたしてしまって
なぜだか分からないけれどうまくいかなくなってしまうのだと
そんな風に思います。
ですが、いつも夢うつつではいけませんので
人としてできる限りのことを尽くし
ごく普通に生きて、どこか別の機会では
本当の自分を開放するのがよいのだと思います。
最後になりましたが、スーパー天珠の2便が入荷いたしましたm(__)m
今組み上げておりまして、光がきちんとめぐってゆくかを見ているところです。
明日改めましてご紹介をさせて頂けると思いますので
どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m