イザワノミヤのお話
今日は伊勢のお話の続きをさせていただきたいと思います。
イザワノミヤでカヤカガに案内をしてもらったところ
ここに伝わる話を聞くことができました。
ここに伝わる話を聞くことができました。
『これは、およそ800年前からある木です』
『人間たちはよくさわっています。
力をもらえると思っているようです』
「ええ」
『この先には池もあります』
『勾玉池とよばれています』
『神聖な池ですが、 浄化するために
毒気をすべて吸い取っている池です。
毒気をすべて吸い取っている池です。
人間は絶対に入ってはなりません。
手をつけてもだめです』
手をつけてもだめです』
「そういうことを今の人は知らないかもしれません」
『この先には、人間が和合のために
さわってる夫婦杉があります』
さわってる夫婦杉があります』
一通り散策を済ませたあと、再度、タマハシラヤヒメノミコト様に挨拶をしに行きました。
「もう1つ、お聞きしたいことを思い出しました。
多くの民がこのように言うのです。
怒りが湧いてきて止められないと。」
多くの民がこのように言うのです。
怒りが湧いてきて止められないと。」
『今の時期はたくさんの魍魎と天界のものが来ているので
霊感のあるものほど怒りが湧くだろう。
丹田に力を入れて瞑想するがよい。
心が休まるはずだ』
霊感のあるものほど怒りが湧くだろう。
丹田に力を入れて瞑想するがよい。
心が休まるはずだ』
「わかりました。そのように伝えます。」
こうして、ここをあとにしたのでした。
「戻りました」
『お疲れ様でございました』
「…ああ。そういえば。
聞きたいことがあるのでした。
稲荷神社にお参りに行っておられる方がいらして、
それをやめることができないというのです。
つまり、あなた方が祟るのではないかということだと思います。
そして他の神社に行くこともいけないことだと思っておられるようです。」
聞きたいことがあるのでした。
稲荷神社にお参りに行っておられる方がいらして、
それをやめることができないというのです。
つまり、あなた方が祟るのではないかということだと思います。
そして他の神社に行くこともいけないことだと思っておられるようです。」
『狐が祟るというのは人間が利益を求めて、 我らを祀りあげ
途中で放り出すと我らの行く先がなくなるからです。
子孫、 親戚にも力を及ぼします。しかし、恨みとは違うものです。
途中で放り投げて、 どうしてくれるのだということなのです。
召喚しておいて、 途中で放り投げることは許されません』
途中で放り出すと我らの行く先がなくなるからです。
子孫、
途中で放り投げて、
召喚しておいて、
「ええ。
そのような人のために答えてあげてください」
そのような人のために答えてあげてください」
『稲荷神社にお参りに行って、
それを途中でやめようがどうしようが、 かまわぬこと。
我々はそのような狭い了見を持っておらぬ。
それを途中でやめようがどうしようが、
我々はそのような狭い了見を持っておらぬ。
そのようなことならば、 他の神々に手をあわせる事も駄目ではないか』
敷地内にお稲荷さんを建立し
それを祀れば、そこには魂が宿ります。
それを祀れば、そこには魂が宿ります。
誰でも、あなた様でも、家に住むように言われて
突然追い出されたなら、悲しいものです。
突然追い出されたなら、悲しいものです。
しかし、稲荷神社にお参りに行ったからといって、
それを続けなければならないということはありません。
それを続けなければならないということはありません。
それとこれとは別物です。
神々はもっと
おおらかなものなのです。
おおらかなものなのです。