【特別企画】世界最大のパワースポット「南極紀行」
皆さんは地球上で
最も寒い場所をご存知ですか?
日本の最低気温は旭川の-41.0°ですが
世界で一番寒い場所(世界最低気温)は、
1983年7月21日に南極のボストーク基地で観測された-89.2°です。
そこは日常では全く想像ができない別世界-。
「なかなか外出もできない今、
今日は皆様を最果ての極寒の地に
お連れしたいと思います」
これは当店の南極紀行です。
当店のスタッフが体験し、感動した南極を
ぜひ、皆様にも味わっていただきたいということで
今回、こうした記事をご用意をさせていただきました。
たくさんの写真と動画を使用して
本当にご一緒しているかのような
冒険にお連れしたい
スタッフはこんな時だからこそ
何かできることはないかと考えたようでした。
旅行や冒険が大好きな方にお届けします。
南極は世界最大のパワースポットとも呼ばれ
教科書ではタロとジロや昭和基地について学びました。
ほとんどの方は一生行くことが無い場所です。
ですが大人になって
南極に行こうと決めた経緯は
「好奇心」だったそうです。
それにもしかしたら素敵な石に
出会えるかもしれないという気持ちもありました。
イギリスのブランスフィールド、アメリカのパーマー、
ロシアのベリングスハウゼンの3人が、
南極大陸を発見したのは日本の江戸時代です。
今から100年ほど前になると、スコット、アムンゼン、
日本の白瀬矗の三つの探検隊が南極点をめざし、
1911年(明治45年)12月14日
アムンゼンが達成しました。
こんなふうに一般の人間が行けるようになったのは
わずか数十年前からのことです。
INTERNATIONAL ASSOCIATION OF ANTARCTICA TOUR OPERATORS
https://iaato.org/home
南極に行くには?
南極に行くには、たくさんの準備が必要です。
もしもあなた様が行かれる予定なら
これらのことは不可欠になります。
南極に行くための届け出
南極環境保護法に基づき、南極地域に観光に行かれる方、研究に行かれる方、
探検旅行に行かれる方等、南極地域での活動を予定されている日本人と、
日本に在住する外国人の方は訪問前に環境省での手続きを済ませる必要があります。
そのほか、-20°の温度に耐えるべく、アウターや装備品を半年かけて準備しました。
南極に行くための費用
ツアーでの参加でしたが1人150万円と
エコノミーでの飛行機代往復20万円前後が必要となります。
そのため、170万円と別途現地でのホテル代や食事代などが必要です。
加えて荷物も制限されています。
こうした秘境の地に行くには、大変な費用がかかるため、エベレストの石はありえないと言われているのです。
なぜなら、それだけの費用を現地の人が払えるはずもなく、
そしてどうやって、あの危険な白銀の世界で石を掘り、運ぶことができるでしょうか?
荷物は限りなく制限されています。
南極に行くための温度管理
南極は南半球にあるため
オーストラリアと同様に
日本の夏が、南極の冬にあたります。
南極の冬は-40°近くになりますので
限られた時期にのみ上陸することが出来ます。
南極に行くには数回の乗り換えが必要で
もちろん各国の気温は異なります。
寒さと暑さが交互に襲ってくることになります。
乗り換えの中東ドバイが17°
経由地の南米アルゼンチンのブエノスアイレスが23°
南米の最南端に位置する「世界の果て」アルゼンチンのウシュアイアが11°
南極が-20°です。
基本的には冬服で移動するのですが
南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは汗だくの状態になりますから
半袖も1着あると便利です。
「いざ、南極へ。」成田空港を出発
「いよいよ冒険に出発です」
地球の果てに
どんな景色が待っているのか
情熱をもって、この目で確かめるのです。
成田を出発し、中東ドバイへ向かいます。
およそ12時間のフライトですが
気持ちがたかぶっているせいか苦ではありませんでした。
1つ目の経由地ドバイに到着
ドバイにはハブ空港があります。
そのため各国の人たちで賑わっています。
ここでは乗り換えのみのため、2時間ほど滞在しました。
2つ目の経由地アルゼンチンへ出発
2時間後、アルゼンチン行きの飛行機に乗り込みます。
途中、アフリカサハラ砂漠を眼下に見下ろし
南太平洋を超え19時間かけアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに向かいます。
ここまでで31時間のフライトです。
この時点で2日近く移動で費やしているため
流石に疲れが出てきました。
しかしまだまだ南極には到達出来ません。
南極へ向けアルゼンチンの首都ブエノスアイレスに到着
ブエノスアイレスではホテルを予約するのを忘れていて
急いで当日のホテルを予約しました。
これぞ旅の醍醐味「ハプニング」です。
タクシー(Uber)でドキドキしながらホテルに向かいましたが
焦って予約した割には素敵なホテルに泊まることができました。
ブエノスアイレスでは夜中に到着したためお腹が減っていました。
そこで何か買いに行くことにしました。
日本とは違い深夜のコンビニは鉄格子があり
ガラス越しになっていてお客さんはお店には入れません。
小さな小窓から商品を指差して品物とお金を交換します。
道中、ATMの中で寝ている人、恐そうな人、野良犬がいっぱいいました。
後から調べたのですがブエノスアイレスは
外務省の危険エリアに指定されていました。
危険だとは知らずに深夜のコンビニはしごをして
のんきにチョコレートバーとジュースを買いました。
とのことでした。ヒヤヒヤするのが遅かったようです。
ホテルの近くにはこの街のシンボルとしてオベリスクがあります。
オベリスクは、古代エジプトの太陽信仰が起源とされています。古代ローマ時代になると、戦利品として略奪の対象とされ、欧米の公園や広場の装飾品として置かれています。
ブエノスアイレス市民たちは「オベリスコ」と呼んでいますが、これはブエノスアイレスが最初に開かれてから400年目を記念して建てられました。1936年5月のことです。
翌日。
早起きをして
散歩がてらブエノスアイレスの中のカミニートという街に行きました。
散歩がてらといいましても、UBERで30〜40分くらいかかります。
ここはカラフルな街並みでタンゴ発祥の地です。
※音が出ます。高画質でご覧ください
カミニートの中は写真スポットであふれており、
石畳のストリートに立つ色とりどりの建物はもちろん、
街にあふれる装飾品や小物までカラフルなのが特徴です。
また、ストリートにはアルゼンチン出身の著名人の銅像がいたるところに立っています。
ここでは、タンゴの流れる地元のカフェに入り、
コーラと、顔よりも大きなサンドウィッチを食べました。
味は薄味でファミチキ(?)をパンで挟んだような感じでした。
ここで2〜3時間過ごし
その後、空港がある場所に移動します。
ウシュアイアに向けて出発
今度は飛行機で同じアルゼンチンの中の
ウシュアイアという最南端の町に向かいます。
「世界の果て」と言われる場所です。
「さあ、世界の果てに出発です」
次回に続く