神を信じられない方へのご質問のお答えです
4月のはじめ−。
私は伏見稲荷に行く用事がありました。
京都は直接向かえば伊勢とそれほど距離は変わりません。
途中喉を潤したり、休んだりして気長に向かいます。
その道中で、私はいつも色々なことを考えているのですが
この日は、時々いただくお便りのことを思い返していました。
その内容は共通して
「神を信じたいのに、信じられない自分がいる」
という苦しい心で、どうやってお答えしたら良いかを
もう長いこと、模索していました。
神を信じるかどうかと、私を信じるかどうかは別でございますが
皆様は神の存在自体はうっすらと信じておられると思います。
そして神がいらっしゃるかどうかというご質問でしたら
目の前にいらっしゃいますとしか言いようがないのですが
ご覧になれない以上、他の方法で証明するしかないと思いました。
「覚えておられますか?」
まだ流行病の正体が掴めず、
名前しか分からなかった去年の3月頃。
私はウカノミタマノカミに
この流行病について伺いに向かいました。
その時から、このご質問への答えをご紹介していたのですが
あの時、ウカノミタマノカミは
『この菌は太陽の熱に弱い、手を太陽にかざせ』
と仰せになられました。
その記事を公開したのは
2020年3月24日のことでしたから
伺ったのはそれよりも少し前になります。
※右下の日付が記事を公開した日付です
その、およそ一ヶ月弱後に当時の米国大統領が
「この菌は太陽の熱に弱いということがわかった」
と発表しました。
それは2020年4月27日のことでした。
私はこの日付を記憶するために
同日、非公開だったこのブログを公開に変更しましたので
現在は変更した日付が2020年4月27日になっていると思います。
そして今年、まだ薬の実用化が不安定だったころ
月読尊は言いました。
『人間がつくりあげた薬の効き目が出る。
それが顕著にあらわれるのは、菊月以降。
この国にとってはだ。
他の国のことは知らぬ』
この菊月というのは旧暦で、現在の9月か10月のことを表しています。
月読尊にこれを聞いたのは2021年4月の初めで、
実際に記事としてご紹介をしたのは
2021年4月11日のことでした。
それから最近になって9月までに
薬が行き渡るように調整していると
報道がされていましたね?
それが明確になったのは4月23日のことでした。
これが当店の答えになります。
人は何か証を見せなければ信じないとカザキは言いました。
それに人は忘れてしまいがちですから
せめて、ここに記しておこうと思います。
伏見稲荷に到着しました。
朝早くに行くので、人はそれほど多くなく、
でも少ないようにも感じられませんでした。
この日、私はいつものように前もって遣いを出していたため
七つ白ギツネ(通称 オジロ)が降りてきて出迎えてくれました。
境内に入って2〜3分経過するかしないかくらいで
私の気配を感じて、スーッと降りてきてくれるのですが
オジロ殿はこの指の先におります。
『お待ちしておりました』
「最近はお顔を見せてくださらないで
二柱の狐だけを残してしまわれて
お忙しいのですか?」
当店の神棚には四柱の狐がおりましたが
このオジロ殿と、次に位の高い狐は
留守がちになっています。
特にオジロ殿はウカノミタマノカミ様の直々の遣いだからなのか
あの令和の戦いのあたりから、ずっと留守がちです。
ウカノミタマノカミ様が降りてこられるとき
このオジロ殿の背中に乗っていらっしゃいます。
『遣いを出してくだされば
すぐに駆けつけます』
「いいえ。
寂しいと思っただけです。
なんとなくです」
『…』
オジロ殿は少し慌てた様子で、私の方を見つめていました。
「気にしないでください。
ウカノミタマノカミ様はお元気ですか?」
『姫様はお変わりございません』
この時、私は用事を思い出してしまって
もう一度午後に訪れたのですが
午後になると、ウカノミタマノカミ様は降りてきてくださらないので
私が上に行くしかないということでした。
しかし、この山を登るのはおそらく無理だろうと思い
断念しようと思ったのですが、オジロ殿から
このような提案がありました。
『この時間は降りて来ぬので、あなた様の魂を上へ連れてゆく』
この、魂を連れてゆくという方法は、
肉体を置き去りにして意識だけがオジロ殿の背中に乗り、
上へ連れて行ってもらうという方法です。
その間、体には意思がなくなり、うなだれたようになってしまうので
本来は誰かが私の体を見張っていてくれないと危険な状態です。
とりあえず体を隠そうと思い立ち
私は座りこめそうな場所を探しました。
ここにしよう。
木陰の、少し奥まった場所に身を隠して座ることにしました。
印を結び、精神を統一すると体から本体の魂が飛び出します。
急ぎ、オジロ殿の背中に乗って、上まで上がってゆきました。
上の方は意外と人が多く、混んでいました。
ほどなくしてウカノミタマノカミ様が
おられる社があったのでそこへ降り立ちます。
「お久しぶりでございます」
『息災でなによりである』
「ご機嫌はいかがでございますか?」
『人が戻ってきておる。
みな、この時期になり、祈りに来る。
このようになって、信心する力が強くなってきた』
「はい。
人間にお言葉をください」
『祈らずとも我は人間に力を貸す。
祈らずとも、我の力のあらんかぎり、人を助ける。
人間を守るつもりでおるから良いのだが、
もう我の力ではなく、自分たちの力で素晴らしい特効薬を探して使っている。
もう何も案ずる事なく、みな人が解決してゆく。
ただ、心の拠り所として我を信心してくれるものが増えて、
我にとっても、人にとっても、幸か不幸か知らぬが、我は嬉しい』
「はい…。
これからをどのように見ておられますか?」
『今年は劇的に変わるだろう。
病気を克服する力が皆湧いてくる』
「良くなるということでございますか…」
『良くなるものは劇的に良くなり、
悪くなるものは劇的に悪くなる。
変化の年だ』
「わかり…ました。。
ありがとう…ございます…」
体と魂に限界を感じ、急いで体の様子を見に行かなければ
戻らなければと思いました。
もし誰かが騒いでしまったら体に戻れなくなるかもしれません。
再び同じ場所に戻り、そして体に入り込みました。
「かはっ
はあ。はぁ…」
意識を身体に戻すと
脱力感でしばらく動くことができませんでした。
「うぅ…」
うつむいて座っていたら、声をかけられてしまうかもしれないと思うと
しんどそうな顔もできず、上を向いてしばらく座っていました。
もう、2度とこんなことはしたくないと思いながら
30分はそこにいたと思います。
「ハタイログと話がしたい…」
朦朧としながら、私はゆっくり阿吽の像に向かって歩き始めました。
この日ここへ向かったもう1つの理由がハタイログでした。
ですがこのことは少し憚られる内容のため
ここではお伝えしないでおこうと思います。
伏見稲荷の阿吽の像には、かつてお話をしましたように
ここを建立したハタイログの魂が時々宿っています。
それは向かって右側の像で、
時々、血液の循環を感じるような艶かしい様子の時があります。
この日、ハタイログの魂は確かに像に入り込んでいました。
この写真に納めた阿吽像は、今まさにハタイログの依代になっています。
「ハタイログ殿。
あなたは…?
あなたは時を超えて人を見てきたのでしょう?
なぜここに入り込むのです」
『見にきているだけだ。
昔から、色んなことを見てきた。
色々なことがあった。
人間はとても知恵があって、考える力があるから
このような時期でも耐え忍んでさらに発展する』
一通り話した後で、挨拶を交わすと
オジロ殿と帰り道の方へ向かいました。
「そういえば…、どうして狐なのですか?
その姿のことです。
何か意味があるのですか?」
『なぜ狐なのか?
狐はつくりあげたものであり、必ずしも狐でなくてもよかった。
四つ足の獣ならよかった。
からじしというのもいる。
四つ足の獣の象徴として、古の人が決めて狐にした。
狐は昔、賢くて人が騙されやすいと言うものがあった。
それで狐になったのだ』
「ええ…」
『人間には信じるものが三通りあり
稲荷系のほか、龍神、天狗系を信じる人間がある』
私はこの日、重要な伝言をハタイログに託し
そしてここを後にしました。
神を信じるかどうかにつきまして
信じられないことを罪だと思われることはございません。
私は十分な材料はご用意できますが
神自身が強制しておりませんので
自由で良いと思いました。